基本、新書。

新書・選書・学術文庫の魅力を伝えたい、フレイの読書ブログ。

広瀬友紀著『ちいさい言語学者の冒険 子どもに学ぶことばの秘密』子どもの「言い間違い」に寄り添い、言語発達の鍵を探る。

今回紹介する本

レビュー

本書は子どもの「言い間違い」に注目し、私たちの言語発達の過程を考察する1冊。

 

気づいた時には自由に操れるようになっていた日本語。私たちは一体、何も知らない状態からどうやって身につけてきたのでしょうか?子どもたちの話す未熟な日本語を観察すると、言語の習得過程について数多くのヒントを得られます。

 

表紙には「これ食べたら死む?」と書かれています。
「飲んだ」は「飲む」の変化形。
「読んだ」は「読む」の変化形。
だから「死んだ」という日本語を聞いた時、多くの子どもたちはその原型を「死む」だと思ってしまうようです。

 

この間違いは、「読んだ」「飲んだ」「死んだ」という表現から共通項を導き出し、その原型を推測した「研究成果」なのです。その法則に従えば、むしろ正しい推察とも言えるでしょう(しかし悲しいことに、「死ぬ」はナ行変格活用動詞という例外中の例外の動詞であり、他の動詞からその変化形を推測することは不可能なのです。残念、「ちいさい言語学者」たち…)。

 

子どもたちの不思議な日本語を聞いた時、「可愛い言い間違いだな」とつい笑ってしまうことは少なくないかもしれません。しかし彼らは日本語を身につけるために、「ちいさい言語学者」として日々必死に「研究成果」を私たちに披露しているのです。簡単に笑い飛ばすのではなく、彼らの冒険に真摯に寄り添うことで、子どもの成長を効果的にサポートできるはずです。

渡辺正峰著『脳の意識 機械の意識──脳神経科学の挑戦』ただの電気回路から生み出される意識。脳神経科学が抱える長年の謎に迫る。

今回紹介する新書

レビュー

意識の謎に迫る、脳神経科学の"今"を綴る1冊。

 

「人間に意識が宿る」というのは、恐らく多くの人が正しいと考えているでしょう。では、「石ころに意識が宿る」というのはどうでしょうか?これを正しいと考えるのは少数派かもしれません。最近では人間の発話に反応して受け答えをするロボットが登場していますが、彼らには意識が宿っているのでしょうか。「俺には意識がある!」と声高に主張するロボットに対して、私たちは意識の存在を認めるでしょうか。

 

私たちの脳の中を覗いてみると、そこに意識をもたらしていると考えられるものは一切存在しません。どれだけ調べてみても、そこではニューロンの発火しか観測できません。クリックの言葉を借りれば、ただの「ニューロンの塊」から、なぜか意識が生成されているような状態です。では、意識が人間にはあって、石ころにはないと主張するのは、一体何の差なのでしょうか。

 

極論、意識が宿っていることがわかるのは、自分自身しかいないのです。隣の人に意識があることすら、直接的に確認する術はありません。例えば赤いリンゴを見た時に、それを「赤」いものであると認識することは可能です。しかし、私たちが「赤」という色を"あの色"で認識できているのは、一体何故でしょうか。私が「赤」と考える"あの色"を、隣の人が私にとっての「青」で認識している可能性も否定できません。なぜなら、感覚的に「赤」が"あの色"であると認識するようなクオリア(感覚意識体験)は、脳のどこから生じているかが分からないからです。また、商店街などでリンゴを目にした時の"あの感じ"、それを手に取った時の"あの感じ"もまたクオリアであるため、同様に脳の神経回路網から説明することは不可能だと言われています。これだけ進歩した科学が、未だに主観と客観を結びつける手段を一切持たないことは衝撃です。

 

筆者は意識の存在をアルゴリズムに求め、まずは脳の半分だけを機械に置き換えてみようか、という試みを研究しています。なぜ機械なんかに意識の有無が問題になるのか?と考える方も少なくないでしょうが、現代の私たちにとって、体の一部を機械に委ねる場面は決して珍しくはありません。機械と肉体が完全に接続される未来は、そう遠くはないはずです。

 

将来、機械の脳の移植に成功した時、私の意識は、私のままでいられるでしょうか。もし私のままでいられたなら、それは機械に意識が宿ったということになるのでしょうか。

黒田龍之助著『世界の言語入門』90の言語を一気読み。世界には魅力的なことばが溢れている!

今回紹介する新書

レビュー

世界に存在する90の言語について、一言語につき見開き2ページで自らの経験と知識を綴った一冊。

 

筆者は個々の言語について研究することは大切だと認めつつも、言語と言語を繋ぐ役割の重要性を説いています。日本人はやたらと自らの話す日本語を変な言語だと思いがちです。確かに、表音文字表意文字の両方を用いていたり、外来語を何でもカタカナにしてしまったりと、特徴的な点はたくさんあります。しかし、世界を見渡してみると、決して日本語だけが特殊というわけではありません。90も言語を挙げると、メジャーなものからマイナーなものまで、世の中には様々な言語がたくさんあることに気づきます。しかし、どんなに話者が少ない言語であっても、その価値を平等に認める視点を忘れてはなりません。

 

形式的には新書ですが、エッセイのようにサクサク読めます。

毛内拡著『脳を司る「脳」──最新研究で見えてきた、驚くべき脳のはたらき』ヒトの「こころ」に、脳の「なにもないところ」が関与!?

今回紹介する新書

  • 出版社:講談社
  • 発売日:2020/12/17

レビュー

本著は、従来「脳」と考えられていた部分(ニューロンネットワーク)ではなく、脳細胞と脳細胞の隙間(間質)に着目した研究が多数紹介されています。タイトルの『脳を司る「脳」』とは、「脳のはたらきそのもの」だと思っていたニューロンのはたらきを司る、「別の脳のはたらき」の存在を意味しています。

 

ヒトが「生きている」とは、どのような状態のことを指すのでしょうか。心臓が動いている状態でしょうか。呼吸をしている状態でしょうか。それとも脳が動いている状態でしょうか。確かにそれらも1つの「生」の定義として使えるかもしれません。しかし筆者は、「こころのはたらき」が人間の「生」にとって欠かせないものだと考えています。美しい景色を見て感動する、相手の言葉に怒りを覚える、死に直面して悲しみを覚える…こうした瞬間にこそ、私たちは「生きている」と実感するのではないでしょうか。

 

前述の通り、これまで脳はニューロンの神経伝達によってのみ機能していると考えられてきました。しかし、どうやらそれだけでは、ヒトの行動・情動がなぜ起こるのかを完全に説明することはできないようです。そこで最近注目されているのが、これまで何のはたらきも持たないと考えられてきた間質です。研究が進むにつれ、最近では肝臓や腎臓と同様に「器官」の1つとしても認識されつつあるようです。

 

隙間だと思っていた部分から明らかになる驚くべき脳のはたらき。2020年代になっても、脳にはまだまだ分からないことが山積しています。

田中ゆかり著『方言萌え!?──ヴァーチャル方言を読み解く』方言は、地域の”らしさ”を語り継ぐ。

今回紹介する新書

レビュー

「ヴァーチャル方言」を、中高生向けに平易に解説した一冊。「ヴァーチャル方言」とは、実際に話されている方言ではなく、主にキャラクターなどのイメージ形成のために用いられる、ステレオタイプ的な方言です。西郷隆盛の「九州弁」、坂本龍馬の「土佐弁」、服部平次の「関西弁」などがあたります。

 

戦前戦後は「下品ナル言語及方言・訛語ハ之ヲ避クベシ」など、恥ずべきものとして捉えられてきた方言ですが、高度経済成長期から徐々に市民権を得てきました。その要因には、メディアの普及によって全国に広まった「ヴァーチャル方言」が深く関係しています。最近では、実際に用いられる”リアル”方言にも影響を及ぼすようになりました。


これほど標準語が浸透しているにもかかわらず、地域方言が失われずに残ってきた国は、世界でも珍しいそうです。近年では若者が方言を話さなくなった地域も少なくないようですが、これからも地元のことばは大事にしていきたいものですね。

高階秀爾著『バロックの光と闇』ルネサンスに続く西洋文化。時代とともに変化する美意識。

今回紹介する文庫

  • 出版社:講談社
  • 発売日:2017/11/11

レビュー

美術史における「バロック」の姿を解説する1冊。

 

今日でこそ荘厳で華麗なイメージがある「バロック」美術。しかし、「バロック」は元々「歪んだ真珠」を意味する単語であり、時代から逸脱した絵画を揶揄するための言葉でした。しかし、ド派手なだけでなく、寓意性や写実性を持ち合わせた絵画は、やがて国王に庇護を受けることで、発展を遂げることとなります。

 

バロックも、前の時代のルネサンスも、その隆盛は当時の欧州情勢とは切り離すことができません。そのため、本書は美術史の概説書でありながら政治史も綴られている、とても重厚感のある1冊でした。

 

古典主義、バロックロココ、ロマン派など、美術史にはさまざまな区分が設けられていますが、それらを時代区分のように直線的な変遷と捉えるべきではありません。単なる表現様式の1つに過ぎない「バロック」は、時代を越えて様々な美術作品に見出すことが可能です。また、絵画や彫刻に限らずや文学や音楽にだって、「バロック」の精神を宿らせることは可能なのです。

 

白黒ですが図版も大量に掲載されており、西洋美術にあまり明るくない方でも楽しく読める入門書になっています。

高見玄一郎著『港の世界史』海を掌握した者が、世界を掌握してきた歴史。

今回紹介する文庫

  • 出版社:講談社
  • 発売日:2021/11/11

レビュー

ヨーロッパを中心にしながら、港の発達が世界史にもたらした影響を古代史から20世紀まで辿る1冊。

 

最古の「港」は、現代の私たちからすれば港と呼ぶには程遠い、簡素な船着き場程度のものでしかなかったでしょう。しかし、そのような「港」でも、世界に先駆けて完成し、積極的に遠くへ漕ぎ出した民族たちが、優れた文明を築き上げました。三段櫂船の活躍、フェニキア人の植民市建設、コンスタンティノープルの発展、隋唐の大運河建設、ハンザ同盟の構築など、世界史上の重大な繁栄には、いつも港湾が関わっていました。

 

大航海時代の到来は、これまでの閉鎖的な経済社会を一変する出来事でした。「ジパング」の黄金に触発され、海を渡ってアフリカやインド、さらにはアメリカへ渡る彼らの気概には、目を見張るものがあります。アジア圏も決して負けておらず、バルトロメウ・ディアスよりも先に鄭和の艦隊が喜望峰に到達していたのでないか?という説があるのには驚きました(この説が最近の研究を経てどうなっているのかも気になる)。

 

しかし、産業革命の開始は、西欧圏を一気に世界のトップへと押し上げました。特にイギリスの発展には注目です。その発展には、もちろん機械化による大量生産の開始も寄与していますが、なんと言っても重大な要因は、世界中に品物を輸送するために開発された大型船と大型の港、そしてそれを支えるために構築された、「ロンドン」という一大港湾都市の形成です。

 

今日こそ人やモノの輸送手段は鉄道や飛行機がメインですが、それらが登場したのはせいぜい19世紀。船が物流、人流の要となっていた時代がいかに長かったかがわかります。原著の出版からはかなりの時間が経っていますが、内容的には全く古さを感じず、とても楽しく読めました。

 

世界中との海のネットワークが絶たれたコロナ禍。港は今日、再び大きな変化を迫られています。